桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

音楽はいつでもこの胸の中

音楽に心を揺さぶられるたびに、もし音楽に出会わなかったらどうなっていたのだろう、と、とても恐ろしくなる。

 

人生で初めて音楽で衝撃を受けたのは、当時小学4年生で出会ったポルノグラフィティの「BLUE’S」盤に収録されていた「オレ、天使」だった。ハルイチの独特な世界観と脳天に突き刺すようなシラタマの曲、それを調和させるアキヒトの声に夢中になった。
そこから中学生までは四六時中ポルノのことしか考えていなかった。図工の授業ではTHUMPχのジャケットを描いて、担任に精神状態を心配された。

 

中学生はアリプロ、サンホラ、アニソン、V系、東方アレンジ、ボカロなど、2007年~2009年のニコ動黄金時代を駆け抜けた。

高校生になってからは初めての彼氏から影響を受けてUVERを聴くようになった後、邦ロックにハマり始めた。
学校も家庭も荒れていた高2時代、ワンオクとエルレだけが味方だった。

 

高3の春、友人から勧められた「ミッシェルガンエレファント」をYoutubeで探し、ポルノ以来の衝撃を受けることとなる。
当時のわたしは空っぽで、将来のことなんて何も考えられなくて、いつ死んでもいいと思うようになったのはその頃からだと思う。
「世界の終わり」のMVは、そういう空虚な気持ちすらすべて吹き飛ばしてしまった。何がいいのかなんて分からなかったけれど、憑りつかれたように何度も何度も聴いた。チバのしゃがれた声、アベの渇いたギター、目の前に世界の終わりが見えるような退廃的な何かを取り込もうと必死だった。
ミッシェルの曲を聴けば聴くほど、わたしの世界はまだ終わらせてはいけないと思いながらも、今後の人生で最愛の存在となってしまったアベの死を考えて毎晩泣いた。
アベと同じくらいに好きになれるギタリストに出会いたくて、アベに影響を受けたと言う人々のギターをたくさん聴いた。けれどどれほど上手い人でもその音色はその人の音色であって、アベの音色はアベでしかなかった。
わたしの世界を彩り始めた世界の終わりでミッシェルの世界が終わるとき、弦が切れながらも弾き続けるアベフトシでなければ、その後は不器用に生きて不器用に死んでいったアベフトシでなければだめだった。


社会人になってから、中学生のときに聴いていたTaNaBaTaと運命的な再会を果たした。
ポルノはもはやわたしにとっての内臓の一部だったし、ミッシェルは大好きだけれど聴くほどになにか傷付けられていくような存在となっていたけれど、TaNaBaTaは安心感もときめきも与えてくれるような曲だと思った。

 

ART-SCHOOLスピッツKing Gnu椎名林檎東京事変……他にも好きなバンド、好きな曲はたくさんある。
恋に浮かれているときも、失恋したときも、なにもかもが辛いときも、支えてくれたのはいつだって音楽で、そこから出会った大切な人たちもたくさんいる。
音楽に出会えていなかったら、なにもない人生だったかもしれないし、はたまた今よりも素晴らしい人生だったかもしれない。
けれど今の感情にぴったりな曲を自分で見つけることができるたびに、この道を歩んでこれてよかった、と自分の人生を誇りに思う。
めんどうくさい性格な故に、辛い思いもたくさんしてきた。いつ死んでもいいと思っているのは今でも変わらないけれど、経験を重ねたからこそ響くようになる曲が増えるたびに、生きててよかったなあ、なんて柄にもないことを思ったりもする。
たとえこの先、生涯ひとりだったとしても、音楽があればわたしは生きていける。