桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

もう繰り返したくない


同じような恋愛を10年単位で何度も何度も何度も何度も繰り返している。きっとわたしはバカなんだと思う。こうして突然思い立ち、PCを開いてメモ帳にぶつける癖、いつになったら治るのだろう。もうしばらく恋愛なんてしないって今度こそ決めたから、せめて感覚だけでも空くといいなー。なんて思うくらいには、もう誰のこともわたしのことも信用していない。なるようになるだけ、後悔のない範囲。そうやって出来るようになったつもりだったのに、今すごく後悔してる。いつになったら大人になれるんだ。

彼は6つ上のバンドマンで、それを聞いた周りの男たちはひどく顔を顰めた。わたしの親世代は一周回って「まあ、頑張んなさいよ」みたいな態度だった(きっとすぐだめになることを見越していたんだろう)。
5年同棲した元彼が2歳年上のIT企業で、一瞬好きになった男は9歳年上の公務員、そして今度は6歳年上のバンドマン。ついに気が狂ったと思われただろう。

彼と過ごしたたった1~2ヶ月は、他人に堂々と言えたものじゃない。基本わたしの家に来てもらってご飯を食べる、みたいな感じだった。いつ仕事が終わるかわからない彼のために前日からからあげを仕込んだり、数時間も前からポテサラを作ったり、もう少しで会えるっていうときに中央線が止まって駅まで迎えに行ったり。すごく疲れた。疲れたけど、すごく楽しかった。
お花見に行って、ずっとウロウロして、公園に座ってサニーデイ・サービスを流して。こんな春が来てくれるなんてと、ずっと泣いた晩もあった。

最初は彼からの熱烈アプローチだったし、こちらから連絡しないとむしろ向こうが不安になって連絡を寄越すことが多かった。深夜3時までLINEをすることもあった。それの頻度ががくんと減ったのはいつからだろうか。
わたしは生理前のメンタル不調がひどく、毎晩彼に会えない寂しさを抱きしめてただ泣いた。いつしか彼が寂しいからとわたしに電話をかけてくることがあった。けれどわたしはこんなに寂しくても彼に電話ができないんだ、とやけに冴えた頭に浮かんだ瞬間、きっとこのままじゃあだめになると思った。

そこから終わりは早かった。否、実際終わったのかはわからない。
先日も1ヶ月ぶりに彼から連絡が来て、わたしは取り繕って色々話そうとしたけれど1ヶ月ぶりの人間になんて話せばいいかなんてわからないし、彼はこの時世もあってかかなり凹んだ様子で何も話さないしで、ただの無言の時間だった。いろんなものに嫌気がさした。
それでも彼のことを嫌いになれない自分。元気だった頃の彼を忘れられない自分。元気がない彼を支えることができない自分。諦めるべきだと分かっているのに、今でも彼との些細な思い出が蘇ると泣いてしまう自分。


いつか、近所のぼろい平屋を見て、こんな家を建てたいと彼が話してくれたことがあった。
そこにわたしはいるのだろうか。そんなことを聞いたら野暮だと思ったから、聞かないでおいた。
その思い出すら大切でたまらなかったのに、忙しさに追われている中で、いつかその記憶は仕舞いこんでしまった。
岡村靖幸が「ちぎれた夜」で「昔話したおじいさんみたいに僕らはなれるかな」と歌った瞬間、その平屋の前ふたりで立っていたあの時間が一気に蘇った。隣に彼がいない現実がわたしを襲った。
こんなことをうだうだ書いていても、わたしは彼に電話をかける勇気なんてない。話すこともない。
ただ、楽しかった記憶も何もかも忘れて眠りにつきたい。もう恋愛なんてしないようにと祈りながら。

音楽はいつでもこの胸の中

音楽に心を揺さぶられるたびに、もし音楽に出会わなかったらどうなっていたのだろう、と、とても恐ろしくなる。

 

人生で初めて音楽で衝撃を受けたのは、当時小学4年生で出会ったポルノグラフィティの「BLUE’S」盤に収録されていた「オレ、天使」だった。ハルイチの独特な世界観と脳天に突き刺すようなシラタマの曲、それを調和させるアキヒトの声に夢中になった。
そこから中学生までは四六時中ポルノのことしか考えていなかった。図工の授業ではTHUMPχのジャケットを描いて、担任に精神状態を心配された。

 

中学生はアリプロ、サンホラ、アニソン、V系、東方アレンジ、ボカロなど、2007年~2009年のニコ動黄金時代を駆け抜けた。

高校生になってからは初めての彼氏から影響を受けてUVERを聴くようになった後、邦ロックにハマり始めた。
学校も家庭も荒れていた高2時代、ワンオクとエルレだけが味方だった。

 

高3の春、友人から勧められた「ミッシェルガンエレファント」をYoutubeで探し、ポルノ以来の衝撃を受けることとなる。
当時のわたしは空っぽで、将来のことなんて何も考えられなくて、いつ死んでもいいと思うようになったのはその頃からだと思う。
「世界の終わり」のMVは、そういう空虚な気持ちすらすべて吹き飛ばしてしまった。何がいいのかなんて分からなかったけれど、憑りつかれたように何度も何度も聴いた。チバのしゃがれた声、アベの渇いたギター、目の前に世界の終わりが見えるような退廃的な何かを取り込もうと必死だった。
ミッシェルの曲を聴けば聴くほど、わたしの世界はまだ終わらせてはいけないと思いながらも、今後の人生で最愛の存在となってしまったアベの死を考えて毎晩泣いた。
アベと同じくらいに好きになれるギタリストに出会いたくて、アベに影響を受けたと言う人々のギターをたくさん聴いた。けれどどれほど上手い人でもその音色はその人の音色であって、アベの音色はアベでしかなかった。
わたしの世界を彩り始めた世界の終わりでミッシェルの世界が終わるとき、弦が切れながらも弾き続けるアベフトシでなければ、その後は不器用に生きて不器用に死んでいったアベフトシでなければだめだった。


社会人になってから、中学生のときに聴いていたTaNaBaTaと運命的な再会を果たした。
ポルノはもはやわたしにとっての内臓の一部だったし、ミッシェルは大好きだけれど聴くほどになにか傷付けられていくような存在となっていたけれど、TaNaBaTaは安心感もときめきも与えてくれるような曲だと思った。

 

ART-SCHOOLスピッツKing Gnu椎名林檎東京事変……他にも好きなバンド、好きな曲はたくさんある。
恋に浮かれているときも、失恋したときも、なにもかもが辛いときも、支えてくれたのはいつだって音楽で、そこから出会った大切な人たちもたくさんいる。
音楽に出会えていなかったら、なにもない人生だったかもしれないし、はたまた今よりも素晴らしい人生だったかもしれない。
けれど今の感情にぴったりな曲を自分で見つけることができるたびに、この道を歩んでこれてよかった、と自分の人生を誇りに思う。
めんどうくさい性格な故に、辛い思いもたくさんしてきた。いつ死んでもいいと思っているのは今でも変わらないけれど、経験を重ねたからこそ響くようになる曲が増えるたびに、生きててよかったなあ、なんて柄にもないことを思ったりもする。
たとえこの先、生涯ひとりだったとしても、音楽があればわたしは生きていける。

 

自分が境界性人格障害であると自覚した夜

ひたすらに愛のないセックスを繰り返してきた。それは時に快楽を得るためだけのものでもあるし、時に相手を繋ぎ止めておくための手段でもある。わたしにとってセックスをする意味はころころ変わるけれど、一番大きいのは「自分が生きている実感を得るため」であり、言わば自傷行為だった。

 

高校生の頃は誰かに愛されたいがために、ひたすらに身体を重ねた。自分は空っぽな人間なのだから、相手が求めることすべてに応えていれば相手はわたしを見てくれる、そう信じていた。
そうは言ってもいわゆるヤリ目しかいなかったので、わたしを見てくれる人はごく少数だった。たまに本気で大切にしてくれようとした人もいたけれど、わたしへ愛を向けられた途端に興味を失ってしまうのはなんでだろう、と、相手から毎日届くメールをぼんやりと眺めた。

 

自分は病気なんじゃないか、と考えたこともあった。
わたしは小さい頃から何ひとつ不自由なく、たくさんの愛情を注がれて育った。両親のケンカは多い方ではあったし、母はヒステリーを起こし気味ではあったけれど、「普通の家庭」という定義なんて無いと思っているので、わたしにとってはそれが普通の家庭だ。
小さい頃から交友関係を作るのが苦手だった。けれど不思議なことに人が寄ってきてくれることは多くて、そしてみんな些細なことで離れていった。「あなたは周りよりも大人だから今は辛いだけ」と、周囲の大人は口を揃えて言った。学生生活は中学時代がいちばん辛くて、希死念慮に襲われるようになったのはその頃からだった。わたしのことを心配してくれる母に「死にたい」だの言えるわけがなかった。この頃の記憶はすっぽりと抜け落ちて、断片的にしか思い出せない。

 

息が詰まるような中学時代を乗り切って、高校一年生で初めて彼氏ができた。初めてのデートは地元の学生たちが集うデパートで映画を観て、おそろいのマスコットを買って、まるでそれまでの人生がウソのように輝きだした。
やがて彼はわたしの家に来たがるようになった。わたしも馬鹿ではなかったので目的は知っていた。一度家に来るようになってからは彼はわたしの家以外で会うことを渋りだした。セックスをしないわたしに存在意義はないんだな、と思うようになって、わたしは彼に辛く当たったり、泣き喚いて謝ったりを繰り返した。
彼とは壮絶なことが色々とあり、「もう付き合っていられない」という簡潔なメールで半年間の交際は終わった。最初はたくさん泣いたけれど、三日後くらいからは「はやく死ねばいいのに」と、あれだけ好きだった彼を呪うようになった。

 

そこからは前述したとおり、愛されるためにセックスを繰り返す日々だった。快楽で満たされるたび、わたしの中のなにかが抜けていくようだった。
何人かと付き合う中でも、わたしの感情の暴走は治まらなかった。身を削るほどに相手に尽くして、相手が期待どおりのことをしてくれないと癇癪を起こして、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。

 

新社会人になって、同期と交際よりも前に半同棲が始まった。わたしの癇癪は相変わらずだったけれど、当時の彼氏が辛抱強かったこともあり、半同棲は5年間続いた。
社会人3年目で、仕事がきっかけでうつ状態と診断され、精神安定剤を飲むようになった。一般的なうつとは違い、「楽しい」と「辛い」のふり幅がかなり大きく、ひどいときは数時間ごとに変わったりした。いわゆる「躁鬱」なのではないかと思っていたけれど、そうではないと医師は答えた。

 

わたしに他に好きな人ができたことがきっかけで、半同棲は幕を閉じ、今年の春から一人暮らしを始めた。
わたしはまるで学生時代に逆戻りしてしまった。好きな人のために色々と尽くしたけれど、彼は一向に振り向かなかった。ある日突然「もういいや」と思うことがあり、あれだけ好きだったのが嘘のように一時期は呪うようになり、今ではもはや無関心になっている。

 

自分の人生が何なのか分からなくなった。
好きな人のためならばどんなことでも尽くしたいし、何色にでも染まることができる。つまり自分は空っぽであるということだ、と、意味のないことを考えている矢先、ツイッターで「境界性人格障害」についてのツイートを目にしたわたしは、「わたしのことだ」と声を上げた。
だれかに見捨てられるのではないかという不安、だれにでも一生懸命尽くす、対人関係が極端、自傷のために過度な飲酒やセックスを繰り返す。
「ボーダー」という言葉を聞いたことはあったけれど、まさかこんなにも自分に当てはまるものだと思わなかった。覚えのある症状を見るたびに、なんだか肩の荷がおりていくような気がした。この空虚感を味わっているのはわたしだけではないのだと思うと、すこし楽になった。もっと早く知っていればあの地獄みたいな学生生活ももう少し気楽に過ごせたかもしれないなあ、と、ボロボロだった16歳の頃のわたしを思い返した。

世界の終わりにきみの隣にいたかった

頭の中でジムノペディ第1番が鳴りやまない。

 

2月、腰より少し上くらいまで伸びた髪を、好きだった人のために肩の長さまで切った。一昨日、好きだった人への想いと決別するために、完全なショートヘアにした。
もともとショートヘアが似合うと言われていたので、周囲からとても好評で嬉しかった。
けれど好きだった人への想いは今でも眩しいくらいに煌めいている。

 

彼と過ごした時間でいちばん好きだったのは、一緒にダブルベッドで眠っている夜だった。
骨ばった彼の身体は寝心地がいいとは言えないから、何度か目覚めて、彼がコンプレックスだと言っていたいびきを聞くのが幸せだった。
先日、わたしが彼にプロポーズをして、またあのベッドで眠るというとても馬鹿げた夢を見た。
夢のくせに、彼のあまい匂いもぬるい体温もぜんぶがあの夜のままで、目が覚めてから涙が止まらなかった。そんな夢を見るくらいなら二度と目覚めたくなかったし、目覚めるのならば夢に出てきてほしくなかった。

 

昨晩、あれだけ敬遠していたマッチングアプリに登録した。
このご時世だから直接会うこともできないし、もう他人に期待しないと決めたから、だれかとすぐに付き合うつもりはない(よほど仲良くならない限り会うのは億劫だし、今はオンライン飲み会が主流だと聞いたので登録したのもある)。気軽に飲みに行ける友達ができたらいいな、程度の気持ちでやっている。
最初は冷やかしのつもりだったけれど意外とまともな人が多くて、趣味が同じ人と話すのはとても楽しい。

 

だれかと知り合えば知り合うほどに、彼の面影を求めている自分がいる。
先日、街中でジムノペディ第1番を聴いてしまったわたしは身が竦んでしばらく動けなくなってしまった。あのよく晴れた土曜の朝、彼の弾くジムノペディ第1番を聴きながら飲んだ、あまり好きではなかった砂糖入りの紅茶のにおいが香ってくるような気すらした。
あの日の思い出を大切に取っておきたいと思うほどに、わたしの心はひどく痛む。
ただ、他愛もない話をしながら一緒にお酒を飲めるだけでよかった。手を繋いで眠るだけで、わたしは世界でいちばん幸せだった。
わたしはいつになったらこの呪いから解放されるのだろうか。

大好きだったあなたへ

よく晴れた日曜の朝、2月から始まったわたしの恋は幕を閉じました。
彼と重大な何かがあったわけではありません。ただ5年間付き合った元彼といろいろな積み重ねがあった末に別れたように、彼から素っ気なくされることが度重なり、あることがきっかけで彼への気持ちがすっと薄れるのを感じました。
「この人のことが大嫌いだ」となる恋の結末のほうがよほど楽で、今回のように「これ以上好きでいたらきっと彼のことを嫌いになってしまうから諦めなければいけない」と気付いてしまう結末は、とても苦しいです。
いっそ彼のことを嫌いになれれば良いのに、彼と過ごした時間や空気や温度、彼がくれた言葉はわたしの身体に染み付き、しばらく取れそうにありません。

 

困ったことに彼とはグループの共通の友人でもあるので、これから会うこともあると思います(生活圏内も一緒だし……)。
どうせ諦めるといっても彼にしばらく憑りつかれるのでしょうから、もしも彼に何らかの変化があったとしたら、また恋が始まってしまうかもしれません。そのときは馬鹿だなあ、と鼻で笑ってください。
「好き」という気持ちは呪いなので、自分では解けないのです。その証拠に、わたしは高校3年生のときに大好きだった男の子のことを今でも思い出すし、その記憶は色褪せないままきらきらとしています。
きっと彼と過ごしたたった三晩のことも、ずっとずっとわたしの中で呪いのように煌めき続けるのでしょう。

もう恋はしない、なんてよく言いますが、本当にそんな気持ちです。
どうやらわたしは他人に過度に期待しすぎてしまうようで、それに応えられないことは仕方がないのに事実を認められず、自分から離れていってしまうことを繰り返しています。
こういった部分が変わるまで、またはなんらかの奇跡が起きてわたしのことを本当に大切にしてくれる人が現れるまで、わたしはひとりで生きていこうと思います。

 

彼に失望をした朝、わんわん泣いて「もう諦めよう」と決意したあと、不思議と心が軽くなるのを感じました。
わたしには好きなものがたくさんあります。音楽、本、たくさんの友達(みんな見守ってくれていて本当にありがたいです)、こうして文章を書くこと。
恥ずかしいことに彼とのことを書いた文章はたくさんありますが、こんなこともあったね、と笑いながら読める日がいつか来ると信じて、わたしの記憶ではなくこの電子の海に大切にしまっておこうと思います。

 

彼のことはほんとうにだいすきでした。
だいすきだから、これでさよならです。
たった2ヶ月半の恋だったけれど、今までのどの恋よりも幸せでした。
実らなかったことは今は悲しいけれど、夢みたいな時間を過ごせて本当に楽しかったです。ありがとう。

麗しいご加護があるように

ひとり暮らしを始めて一週間が経った。
最初は寂しさで圧し潰されそうになって、あんなに後悔しないと決めていたのに、なにか間違えたのかな、と毎晩泣いた。新居で初めて食べたご飯は、涙でしょっぱくなったふりかけごはんだった。
けれど人間不思議なもので、どんな状況でもいつかは「慣れ」がやってくる。
人の声を聞きたければテレビをつければ良い。不安なニュースで疲れたなら、ネット配信でばかみたいな番組を観れば一人でゲラゲラ笑うことができる。話し相手がいなくて寂しい夜もあるけれど、眠る前に間接照明をつけて、ホットミルクを飲みながら夜にぴったりの音楽を流すのは、一人でないと送ることのできない、とても心地のよい時間だ。

「心地よさ」「楽しさ」の選択肢はいくらでもある。
わたしは「誰かと過ごす楽しさ」しか知らなくて、それが突然なくなったから、ただ戸惑っていただけだ。
それなら「一人で過ごす楽しさ」をこれから見つけていけばいい。
いまは外出自粛でだれかに会うことも憚られるけれど、一人で好き勝手に飲むお酒も楽しいし、かならず夜明けはやってくる。
それまでに少しでも自制心を育ませて、ひさしぶりに好きな人に会ったときに好印象を与えられることができるなら万々歳だ。


春のあたたかくてやわらかな風は、なぜだか好きな人のにおいがする。
こんなにも心地が良いのにどこにも行けないのは勿体ない。けれどみんなが頑張って、我慢をして、だれかを守ることができたぶん、来年は何倍にも素晴らしい春が間違いなくやってくる。
悲しいこと、不安なことも多いけれど、変わらずにおひさまが昇り続けるかぎり、わたしたちは生きていける。

こんな状況でも、やさしい心を持って生きている人たちに、早くあたたかな日々が訪れますように。

25歳の家出と、失望への恐怖

もう4月だというのに肌寒く、記念すべき新居で迎える初めての朝だというのに雨まで降っている。
こんな風に新生活に水を差されたり、悪夢を見たり、なんだかな、と思うことばかりだけれど、前向きに考えるしかない。ちゃんと自分の足で地面に立って、ひとりで生きていけるように。

 

人間の感情の中でいちばん辛いものは、哀しみでも苦しみでも痛みでもなく、失望感だと思い知らされた。
わたしと元彼はゆるやかな別れを迎えようとしていた。引越すまでに元彼の好きな料理を作って、前みたいに他愛もない話で笑って、元気でね、って出て行きたかった。
それは所詮、わたしのエゴで自己満足だったのかもしれない。5年間たくさんのすれ違いがあったとはいえ、他に好きな人ができたからという理由で別れを突き付ける時点で、やさしさも何もないと分かりきっている。
その罪悪感をすこしでも減らしたいという、相手への押し付けのやさしさだったのだ。

 

元彼のことはほんとうに大好きだった。
かっこよさはなかったけれど、一緒にいて楽しかったし、自分たちなりの幸せを見つけていければいいと思っていた。
5年間のすれ違いは、ほとんどが元彼の「あまり感情を言葉にしない性格」に対してわたしが深読みをしすぎてしまい、わたしが一方的に怒る、というものだった。今回も状況は同じだったけれど、引き金となったことがわたしにとってはとても重大なことで、いままでには感じたことのない失望感をおぼえた。
もうこれ以上一緒にいてはいけない、と咄嗟に思った。
わたしは一週間はやく、5年間暮らした1LDKを出ていくことにした。新居にはまだ何もないし、布団すらないから、不便な暮らしが待っていることは承知だった。
それ以上一緒にいたら、ほんとうに嫌いになってしまいそうで怖かった。他人に目が眩んで一方的にフった女が言う台詞ではないことは分かっているけれど、とにかく逃げてしまいたかった。

 

元彼には、わたしのようにちょっとしたことで怒るようなことのない、優しい彼女を見つけてほしかった。
元彼は偏食気味なところがあったから、できれば料理上手な人がいいな、なんてもはや母親みたいなことを思ったりもした。
その気持ちさえなくなってしまいそうなのが恐ろしかった。数年前の適当な恋愛ばかりしていたわたしだったら、別れた3日後には元彼の不幸を願っていたけれど、そんなこと容易く思えないくらいに、5年の月日は長すぎた。


すれ違いを解消できないまま元彼が不貞寝している横で、出ていくまでに食べようと思っていた食材を、わたしは泣きながら無心で食べた。
翌日は深夜3時半に目が覚めて、数日分の洋服と下着類と化粧品と娯楽類、ブランケットとランタンなどをキャリーケースとリュックにありったけ詰め込んだ。
元彼が好きだった生姜焼きと、そのうち作ろうとしていた煮物を10分で作って家を出た。もはや元彼のためなのかは分からない。食材がだめになってしまわないように、ただそれだけの理由だと言い聞かせた。


わたしの好きな人は、どこか人付き合いを避けているようなところがある。
そのくせにだれよりも寂しがり屋で、再婚する願望もある。
わたしといるときの彼はとても楽しそうなのに、たまにわたしのことを突き放すようなことを言ったりもする。矛盾だらけの人だ。
もしも本当にわたしが離れたら悲しむくせに、なんて思うのは、おそらく自惚れではない。
きっと彼は、自分と愛する人の心が離れていく失望感を恐れているのだ、と思った。最愛の奥さんに裏切られた悲しみを、彼はいまだに引きずっているし、それはこれからも無くなることはないだろう。
それを少しでも癒してあげたい、すこしでも彼のことを笑わせたい、それくらいしかわたしにできることはない。


人と人がかかわる以上、すれ違いなんていくらでも起きる。
すこし前まで旦那さんのことを話していたTwitterのフォロワーが突然離婚していたり、子どもが生まれたとたんに旦那さんへの愚痴ばかり書くようになることなんて日常茶飯事だ。
どうして人はだれかに惹かれてしまうのだろうか。ひとりで生きていけたらいちばん楽なのに。
もしも感情をどれかひとつ捨てられるとしたら、わたしは迷わずにさみしさを選ぶだろう。