桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

25歳の家出と、失望への恐怖

もう4月だというのに肌寒く、記念すべき新居で迎える初めての朝だというのに雨まで降っている。
こんな風に新生活に水を差されたり、悪夢を見たり、なんだかな、と思うことばかりだけれど、前向きに考えるしかない。ちゃんと自分の足で地面に立って、ひとりで生きていけるように。

 

人間の感情の中でいちばん辛いものは、哀しみでも苦しみでも痛みでもなく、失望感だと思い知らされた。
わたしと元彼はゆるやかな別れを迎えようとしていた。引越すまでに元彼の好きな料理を作って、前みたいに他愛もない話で笑って、元気でね、って出て行きたかった。
それは所詮、わたしのエゴで自己満足だったのかもしれない。5年間たくさんのすれ違いがあったとはいえ、他に好きな人ができたからという理由で別れを突き付ける時点で、やさしさも何もないと分かりきっている。
その罪悪感をすこしでも減らしたいという、相手への押し付けのやさしさだったのだ。

 

元彼のことはほんとうに大好きだった。
かっこよさはなかったけれど、一緒にいて楽しかったし、自分たちなりの幸せを見つけていければいいと思っていた。
5年間のすれ違いは、ほとんどが元彼の「あまり感情を言葉にしない性格」に対してわたしが深読みをしすぎてしまい、わたしが一方的に怒る、というものだった。今回も状況は同じだったけれど、引き金となったことがわたしにとってはとても重大なことで、いままでには感じたことのない失望感をおぼえた。
もうこれ以上一緒にいてはいけない、と咄嗟に思った。
わたしは一週間はやく、5年間暮らした1LDKを出ていくことにした。新居にはまだ何もないし、布団すらないから、不便な暮らしが待っていることは承知だった。
それ以上一緒にいたら、ほんとうに嫌いになってしまいそうで怖かった。他人に目が眩んで一方的にフった女が言う台詞ではないことは分かっているけれど、とにかく逃げてしまいたかった。

 

元彼には、わたしのようにちょっとしたことで怒るようなことのない、優しい彼女を見つけてほしかった。
元彼は偏食気味なところがあったから、できれば料理上手な人がいいな、なんてもはや母親みたいなことを思ったりもした。
その気持ちさえなくなってしまいそうなのが恐ろしかった。数年前の適当な恋愛ばかりしていたわたしだったら、別れた3日後には元彼の不幸を願っていたけれど、そんなこと容易く思えないくらいに、5年の月日は長すぎた。


すれ違いを解消できないまま元彼が不貞寝している横で、出ていくまでに食べようと思っていた食材を、わたしは泣きながら無心で食べた。
翌日は深夜3時半に目が覚めて、数日分の洋服と下着類と化粧品と娯楽類、ブランケットとランタンなどをキャリーケースとリュックにありったけ詰め込んだ。
元彼が好きだった生姜焼きと、そのうち作ろうとしていた煮物を10分で作って家を出た。もはや元彼のためなのかは分からない。食材がだめになってしまわないように、ただそれだけの理由だと言い聞かせた。


わたしの好きな人は、どこか人付き合いを避けているようなところがある。
そのくせにだれよりも寂しがり屋で、再婚する願望もある。
わたしといるときの彼はとても楽しそうなのに、たまにわたしのことを突き放すようなことを言ったりもする。矛盾だらけの人だ。
もしも本当にわたしが離れたら悲しむくせに、なんて思うのは、おそらく自惚れではない。
きっと彼は、自分と愛する人の心が離れていく失望感を恐れているのだ、と思った。最愛の奥さんに裏切られた悲しみを、彼はいまだに引きずっているし、それはこれからも無くなることはないだろう。
それを少しでも癒してあげたい、すこしでも彼のことを笑わせたい、それくらいしかわたしにできることはない。


人と人がかかわる以上、すれ違いなんていくらでも起きる。
すこし前まで旦那さんのことを話していたTwitterのフォロワーが突然離婚していたり、子どもが生まれたとたんに旦那さんへの愚痴ばかり書くようになることなんて日常茶飯事だ。
どうして人はだれかに惹かれてしまうのだろうか。ひとりで生きていけたらいちばん楽なのに。
もしも感情をどれかひとつ捨てられるとしたら、わたしは迷わずにさみしさを選ぶだろう。