桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

自分が境界性人格障害であると自覚した夜

ひたすらに愛のないセックスを繰り返してきた。それは時に快楽を得るためだけのものでもあるし、時に相手を繋ぎ止めておくための手段でもある。わたしにとってセックスをする意味はころころ変わるけれど、一番大きいのは「自分が生きている実感を得るため」であり、言わば自傷行為だった。

 

高校生の頃は誰かに愛されたいがために、ひたすらに身体を重ねた。自分は空っぽな人間なのだから、相手が求めることすべてに応えていれば相手はわたしを見てくれる、そう信じていた。
そうは言ってもいわゆるヤリ目しかいなかったので、わたしを見てくれる人はごく少数だった。たまに本気で大切にしてくれようとした人もいたけれど、わたしへ愛を向けられた途端に興味を失ってしまうのはなんでだろう、と、相手から毎日届くメールをぼんやりと眺めた。

 

自分は病気なんじゃないか、と考えたこともあった。
わたしは小さい頃から何ひとつ不自由なく、たくさんの愛情を注がれて育った。両親のケンカは多い方ではあったし、母はヒステリーを起こし気味ではあったけれど、「普通の家庭」という定義なんて無いと思っているので、わたしにとってはそれが普通の家庭だ。
小さい頃から交友関係を作るのが苦手だった。けれど不思議なことに人が寄ってきてくれることは多くて、そしてみんな些細なことで離れていった。「あなたは周りよりも大人だから今は辛いだけ」と、周囲の大人は口を揃えて言った。学生生活は中学時代がいちばん辛くて、希死念慮に襲われるようになったのはその頃からだった。わたしのことを心配してくれる母に「死にたい」だの言えるわけがなかった。この頃の記憶はすっぽりと抜け落ちて、断片的にしか思い出せない。

 

息が詰まるような中学時代を乗り切って、高校一年生で初めて彼氏ができた。初めてのデートは地元の学生たちが集うデパートで映画を観て、おそろいのマスコットを買って、まるでそれまでの人生がウソのように輝きだした。
やがて彼はわたしの家に来たがるようになった。わたしも馬鹿ではなかったので目的は知っていた。一度家に来るようになってからは彼はわたしの家以外で会うことを渋りだした。セックスをしないわたしに存在意義はないんだな、と思うようになって、わたしは彼に辛く当たったり、泣き喚いて謝ったりを繰り返した。
彼とは壮絶なことが色々とあり、「もう付き合っていられない」という簡潔なメールで半年間の交際は終わった。最初はたくさん泣いたけれど、三日後くらいからは「はやく死ねばいいのに」と、あれだけ好きだった彼を呪うようになった。

 

そこからは前述したとおり、愛されるためにセックスを繰り返す日々だった。快楽で満たされるたび、わたしの中のなにかが抜けていくようだった。
何人かと付き合う中でも、わたしの感情の暴走は治まらなかった。身を削るほどに相手に尽くして、相手が期待どおりのことをしてくれないと癇癪を起こして、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。

 

新社会人になって、同期と交際よりも前に半同棲が始まった。わたしの癇癪は相変わらずだったけれど、当時の彼氏が辛抱強かったこともあり、半同棲は5年間続いた。
社会人3年目で、仕事がきっかけでうつ状態と診断され、精神安定剤を飲むようになった。一般的なうつとは違い、「楽しい」と「辛い」のふり幅がかなり大きく、ひどいときは数時間ごとに変わったりした。いわゆる「躁鬱」なのではないかと思っていたけれど、そうではないと医師は答えた。

 

わたしに他に好きな人ができたことがきっかけで、半同棲は幕を閉じ、今年の春から一人暮らしを始めた。
わたしはまるで学生時代に逆戻りしてしまった。好きな人のために色々と尽くしたけれど、彼は一向に振り向かなかった。ある日突然「もういいや」と思うことがあり、あれだけ好きだったのが嘘のように一時期は呪うようになり、今ではもはや無関心になっている。

 

自分の人生が何なのか分からなくなった。
好きな人のためならばどんなことでも尽くしたいし、何色にでも染まることができる。つまり自分は空っぽであるということだ、と、意味のないことを考えている矢先、ツイッターで「境界性人格障害」についてのツイートを目にしたわたしは、「わたしのことだ」と声を上げた。
だれかに見捨てられるのではないかという不安、だれにでも一生懸命尽くす、対人関係が極端、自傷のために過度な飲酒やセックスを繰り返す。
「ボーダー」という言葉を聞いたことはあったけれど、まさかこんなにも自分に当てはまるものだと思わなかった。覚えのある症状を見るたびに、なんだか肩の荷がおりていくような気がした。この空虚感を味わっているのはわたしだけではないのだと思うと、すこし楽になった。もっと早く知っていればあの地獄みたいな学生生活ももう少し気楽に過ごせたかもしれないなあ、と、ボロボロだった16歳の頃のわたしを思い返した。