桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

あゝなんてつまらない日々

こんなにも空は晴れ渡っているのに、仕事も家族との関係もうまくいかなくて、ただひたすらに好きな人の声が聞きたくなる。
コロナとかオリンピック延期とかめんどうなことを一切なにも考えずに(普段からたいして考えてはいないけれど)、とにかく青くて広い空のもと、お酒を飲みながら過ごしたい。場所はそうだ、1歳の頃に行ったけれど全然記憶にない沖縄がいい。
わたしがもしも男で、ひとりを養えるぶんのお金とそれを実行できる勇気さえあれば、好きな人を攫ってしまいたかった。
そんな妄想をしながら、引越しのせいで来月の暮らしすら危ういしがない25歳のOLは、きょうもつまらない一日をやり過ごす。


仕事での嬉しいことやいやなこと、店員さんが親切にしてくれることもあればすれ違っただけなのに舌打ちをしてくるおじさんなど、世の中はいろんな人間と感情で溢れていて、それらに一喜一憂しすぎる癖を直さないと幸せになれないな、と思った。
好きな人にはこの時期、部署異動の噂があった。異動することは濃厚だったらしいけれど、どうやら環境の変化を嫌うらしく憂うつそうにしていたので、異動がないことを願った。もしも異動してもたまには遊んでくださいね、と異常なほどに心配するわたしを、親の転勤で会えなくなる中学生みたいだね、と彼はからかった。都内から出ることはないから会えなくなる距離ではないのだけれど、なんだか不安だった。
それが月曜のことで、異動の内示は火曜に出るとのことだった。こちらから連絡はしないでおいた。
わたしの職場の他部署の、彼と知り合う切欠となった人(わたしが彼のことを好きなのは知っている)から、○○さん異動したみたいですよ、と聞かされてわたしは固まった。その人は元々彼の同期で、たぶん新卒の頃からの相当長い付き合いだ。そんな人と、突然彼にまとわりつくようになった9歳下のわたしを比べても仕方ないんだろうけど、この人は彼から連絡がきていいなあ、なんて思ってしまう自分が虚しかった。
べつにわたしに連絡しないのも大した理由はないのだと分かっている。こういうちょっとしたことで気にする癖を治さなければいけないことも、十分すぎるほどに分かっている。


昨夜、寝付けない午前1時、ふとツイッターの下書きを眺めていたわたしは思わず笑ってしまった。

 

何も考えずに人を好きになれたのって学生の頃までで、それ以降は将来性とか相性とか打算的なところがあって、好きで好きでたまらない気持ちはもう味わえないんだろう


まるでいろいろな経験をしてきて、この世の恋愛すべてを悟ったかのような口振りだ。けれどこれは所詮、たまたま電波が悪くて世の中に発信されることもなく下書きのなかで燻っていた、ただの24歳の小娘の戯言だ。このときはたった一人の男のせいで、ばかみたいに笑ったり、好きで好きでたまらなくて泣いたりするなんて思わなかった。
3年後、5年後、10年後、こんなふうに日々くるったように書いている文章を見たとき、わたしはどう思うだろうか。若いね、だなんてすこしでも笑えるくらいに成長できていればいいけれど。