桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

恋とは滑稽なものである

人間だれしも最期は一人だし、さみしいという感情さえなければ良いのになあ、とつくづく思う。


以下、一度もちゃんとした告白をしていないのに、すでに3度も友達宣言をされた好きな人のために努力したこと。

・好きな人の好みに合わせようと、5年間伸ばし続けていたロングヘアをばっさりカット
・見せるわけでもないのに6000円の下着を購入
・こういう機会でもないと一生着ないだろうと決心し、15000円のジェラートピケを購入
・20000円の資生堂メイクアップレッスンに応募(来週受講する予定がコロナの影響で延長)

どれもこれも、彼にすこしでもかわいいと思われたい、それだけの理由だ。
傍から見たら、馬鹿に見えてるんだろうな、と自分でも思いながら、若気の至りだと自分に言い聞かせる。

 

恋をする上でなによりも怖いのは、失恋なんかではなく、「大好きだった人のことを好きじゃなくなる瞬間」だと思う。
思えば元彼と5年間同棲している上で、それが訪れかけたことは何度かあった。互いに解決したように思っていたけれど、ただ蓋をしていただけだったのだろう。
好きになってもらうためにこんなに苦労した彼のことだって、かなり些細なことで好きじゃなくなるときが来るかもしれない。
いまの自分や彼にとってはそれが幸せなのかもしれないけれど、好きという気持ちはそんな簡単に捨てたいものではない。と言いつつも、寂しい夜には「好きになりたくなかった」と泣いたりするから、やはりさみしさは厄介だ。
外見を磨いて、体重は4年前の52キロから39キロまで落ちて、だれかわたしのことを好きになってくれる人が現れるかもしれない。けれどその人のことをわたしが好きになれるかは別問題なので、あまり考えないことにする。


明日は2週間ぶりに彼に会いに行く。以前、女の人のベレー帽かわいいよね、と言っていたので、もう春の訪れを感じるけれどわたしはベレー帽をかぶる。
その会話をしていたときはだいぶ酔っていたのに、そこだけ断片的に覚えていて、恋する女の記憶力の凄さを痛感する。
幸いにも、わたしには未来を憂うためのモラトリアムはまだ残されている。
いまのわたしの最大の幸せは、わたしも彼も好きな牡蠣のクリームパスタを食べながら、赤ワインがいいか白ワインがいいか言い合ったり、甘いものを食べたいとわがままを言って彼を困らせたり、彼の傍で眠ることである。「特別じゃない」とわたしに言った彼がわたしに優しくしてくれるたび、その優しさが嬉しくて切ない。
先の見えない恋愛に縋って、楽しさとそれの倍以上のさみしさを噛みしめてこうして文章にする。感情は言葉にするしかない。少しでもこの恋愛に後悔が残らないように、ただひたすら思ったことを書くだけだ。