桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

後悔の多い生涯を送ってきました

コンプレックスをスタンプで隠した自撮りをツイッターにのっけたり、ミニスカートをはいている女の子に憧れている。
私が女子高生~専門学生だった頃はおしゃれに無頓着で、髪は早く乾かせるようにショートカットで、いつもパーカーとショーパンばかり着ているような女の子だった。
社会人になってから、今の彼氏が長い髪の方が好きだということもあり、髪を伸ばし始めた。社会人2年目でようやくおしゃれに目覚めた。けれどこのあたりから毎日のように飲み歩くようになって、激太りした。もともとが痩せていたので今は標準体重ぐらいだけれど、太くなった脚がコンプレックスで、もう昔みたいにショーパンやミニスカートは履けなくなった。
なかなかダイエットも成功せず、年齢ばかり重ねてしまった。そろそろ年齢的にもミニスカートはきつい頃合となってしまった。

ツイッターやインスタグラムの向こうの女の子たちは皆、細い脚にミニスカートを巻きつけてきらきらと笑っている。
もっと若い頃におしゃれしたかった。大森靖子ちゃんの曲やMVに出てくるような女の子になりたかった。黒髪のサラサラロングで、少し精神の安定していない、触れたら壊れてしまいそうな女の子になりたかった。今や家と職場の往復ばかりしている地味OLだ。
もしこの記憶を保ったまま高校生の頃に戻れるのなら、理想通りの女の子になって、入学した高校とは違う学校に入って、友達以上恋人未満みたいな女の子の友達をつくりたい。あわよくば一度、女の子と付き合いたかった。実際、一時期だけ女の子の友達のことを好きになったことがある。女の子同士で付き合っていくこととか、将来のこととかを考えていたら、すぐに恋心は無くなったけれど。

いちいち先のことを考えるせいで、諦めてきたことがいくつもある。
将来の夢。幼稚園の頃に買ってもらったカードキャプターさくらで初めて漫画の面白さを知り、自由帳にオリジナル漫画を描くようになった。週2ぐらいのペースでノートを使い終えてしまうので、ほとんどは捨てられてしまった。小学校でクラスでいちばん絵がうまいと言われ天狗になっていたわたしは、漫画家になりたいと強く思うようになったけれど、中学校で入部した美術部のレベルの高さで無理だと悟り、漫画家を諦めた。
次にみた夢はウェブアートデザイナーだった。小学生の頃はちょうどホームページ文化全盛期で、HTMLをメモ帳に貼り付けてホームページを作成している小中学生がたくさんいた。わたしも取り付かれたようにホームページを大量に作成した。わたしが作成したコンセプトもコンテンツもないホームページは、恐らくいまでも電子の海を彷徨っている。
就活生になって、毎週のように届くおいのりメールに精神を蝕まれていた頃、ウェブアートデザイナーの求人が目に入った。その頃はホームページ文化は廃れSNS中心となっていたけれど、ウェブアートデザイナーの夢は捨てきれていなかった。
渋谷のオフィスに面接を受けにいった。面接は恐らく好感触だったのだが、この会社は見なし残業ありだったのと、面接官が「体調を崩して辞めていく人が多いけれど、大丈夫そう?」と質問してきたことが引っかかっていた。面接を終えて帰宅したわたしに、就職センターの職員から、当時受けていた別の会社から内定が出たことを告げられた。そっちは残業も無さそうな会社だった。ずっと夢だったけれど、忙しそうで精神も病みそうなウェブアートデザイナーと、残業なしですぐに帰れる事務員を天秤にかけ、わたしは後者を選んだ。それから4年経った今、たしかに定時で帰れてはいるけれど、結局精神は病んでしまった。どうせなら夢だった仕事に就いて、精神を病みたかった。