桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

救いを求めている

うつの人はアイドルにはまりやすい。何の根拠もない、Twitterのフォロワーさんが言っていたことだけれど、それにわたしはとても賛同した。

11月から気分の上がり下がりが激しくて、仕事で特別嫌なことがあるわけでもないのに、会社に行くことが嫌だった。何度も朝泣きながら出勤した。
どうしても会社に行きたくなくて休んだ日、前から気になっていたヒプノシスマイクの動画を開き、気付けば1日で50回くらい再生していた。最初は観音坂独歩と夢野幻太郎に惹かれたけれど、結局碧棺左馬刻推しになった。
ヒプマイのグッズはとんでもなく多くて、メルカリで過去のグッズを購入しまくった。4万円分ぐらいは買ったと思う。Twitterでヒプマイ垢を作って、色んな人と繋がってTLを眺めることがとても楽しかった。けれどその頃のヒプマイ界は荒れていた。ラップバトルという名の人気投票のこと、コミカライズのこと、声優さんのSNS上での発言など(言いがかりみたいなのも多かった)、一日に1回ぐらいはTLに愚痴が流れてきた。わたしは基本的に平和が一番だと思っているので、愚痴を見るのが辛かった。やがてあまりヒプマイ垢は開かなくなった。

年末年始は狂ったようにジャニーズの動画を見まくった。中学生の頃の嵐熱が再燃しつつも、新しいアイドルにハマりたいと思い色々調べた結果、「匂わせ」という言葉を知った。アイドル本人に彼女がいることは何とも思わないけれど、付き合っていることを自らバラされるのはさすがに辛い。以前から一人かっこいいと思っていたアイドルがいたのだけれど、彼自身も過去に匂わせのようなものがあったらしく(真偽は不明)、8年間彼に時間もお金もかけてきたというファンがTwitterで愚痴っているのを見て、なんとも辛い気分になった。
都合の良い話だろうけど、アイドルはただファンに生きる希望を与えてくれる存在でいてほしい。

彼女がいることや結婚していることを公言しない、SNSで炎上したりもしない、自分の教祖になってくれそうな男性芸能人が現れてほしい。やはり二次元しかないのだろうか。

わすれられない人

 高3の頃に付き合っていたS君の話は以前の記事でも書いたけれど、ずっと前に書いていた文章が出てきたので、ここで供養します。

 

わたしには2015年から付き合って、付き合ってからすぐ同棲を始めた彼氏がいる。同じ会社に同期で入って、もう一人同期の男の子といつも3人で遊んでて、そのうち彼のことが気になって、流れで付き合ったという馴れ初めだ。付き合う前から付き合い始めはとても好きで、ドキドキしていたんだけれど、今となっては彼氏というかもはや家族みたいな存在だ。もちろん大切だし、赤の他人同士一緒に住んでいる以上めちゃくちゃムカつくこともたまにはあるけれど、会社にいる時とかに今どうしてるかなって考えることもある。週末に遊びに行くのもとても楽しい。ドキドキするというより、一緒にいて楽しい存在だ。

そんなわたしには忘れられない人がいる。高3の頃、当時宗教的なほどハマっていたミッシェル・ガン・エレファントアベフトシにとても似ているクラスメイトがいて、最初は似ているな~くらいにしか思っていなかったのだけれど、アベを見るみたいな気持ちで眺めているうちに好きになってしまったという流れだった。何度考えても不純な理由。
中学生までは野球部の部長を好きになったり、文化祭のバンド発表で見た先輩を好きになったりとにかくミーハーな性格で、恋というか憧れに近かった。ちゃんとした恋愛をしたのは高1の頃。最後はボロボロになって失恋するというあまり思い出したくも無い思い出。ちなみにこのときの彼も、前から少し気になってはいたけれど、調理実習のときに「砂糖使う?」と聞いてくれただけで本格的に好きになるという、どこの童貞だよという感じのキッカケだった。
人を好きになると周りが見えなくなる危ない性格なので、高1の彼の時も大して話したことも無かったのに「メアド交換してくれない?」と話しかけ、恐らく彼の方もチョロい性格だったようで3日後には付き合っていた。以上、高1の頃の恋愛。
時を経て高3春、周りが見えなくなる性格は変わっておらず、話したことといえば同じ掃除当番だったときに勇気を出して「ホウキとってきたよ!」とホウキを渡したくらいだったにも関わらず、とりあえずメアドを交換しようと決めた。好きになる人はみんな「成績が良くてクラスの陽キャとも陰キャともそれなりに仲が良い友達が多い人気者」といったタイプで、当時好きになった彼・S君にも、四六時中行動を共にする友達が数名いた。高1の時のように「メアド交換してくれない?」と話しかける隙も一切無く、「良かったらメールしてください!」とわたしのメアドを書いたメモ用紙を渡すことにした。その一瞬の隙でさえなかなか見つからず、友達と「今日も渡せなかった……」と嘆いたことをよく覚えている。

ようやく渡せた日のことも鮮明に覚えている。その日もS君は友達と帰ろうとしていたのだが、これ以上待ち侘びるのは嫌だと痺れを切らし、気付いたら後ろから彼の名前を読んでいた。ろくに話したこともないクラスの女子に突如呼び止められた彼は、驚いた顔で振り返った。S君の友達は何かを察したのか(この友達はクラス委員をしていて、とても良い人だった)、先に行ってるよ、と退散してくれた。「これ、良かったら……」とメモを渡すと、S君はその場でメモを見た。絶対おかしいやつだと思われる、素っ気無い返事をされる。と早くも後悔していたわたしに、S君は今までに見たこともないような爽やかな笑顔で、「オッケー!」と笑ってくれた。本格的にS君に惚れた瞬間だった。
メモを渡したけれどちゃんとメールをくれるのだろうかとモヤモヤしている帰り道、「○○です」といったシンプルなメールが届いて、友達と一緒に喜んだ。しつこいと思われたくなくてメールをするのもいちいち緊張して、それでもテストのこととか共通の話題を見つけて、たった1行のメールのやり取りが42通も続いた時は本当に嬉しかった。件名に「Re:」が増えていくことがわたしの青春だった。

それからメールをやり取りするような関係になって、学校のことや課題のこととか他愛も無い話をするようになった。
わたしの高校は付属大学があり、付属大学のオープンキャンパスに一緒に行くことになった。一緒に行動できるはずの友達がいるにも関わらずS君はわたしと一緒に行動してくれて、食堂で大好きなからあげ定食を食べたけれど、緊張で喉も通らなかった。数週間前までは話したことがなかった関係が嘘のようにひたすら話して、ひたすら笑っていた。
帰り際、S君から「女子とあまり話したことなかったから新鮮で楽しかった」と言われて舞い上がったわたしは、そのままS君に告白をした。無言になって、あぁ終わった…と思ったけれど、S君は照れた様子で「色々忙しいけどそれでも良かったら」とOKしてくれた。この言葉がわたしをひたすら苦しめることとなる。


その言葉通りS君はとにかく忙しい人だった。サッカー少年で、地元のサッカークラブに所属していた(このクラブ出身の選手が今日本代表にいるくらい地元でも有名らしい)。あいにくわたしはたまの野球観戦とバイトくらいしか用事がないヒマな高校生で、付き合うカップル=デートをしなければならない、みたいな考えをしていて、今思えばそれがS君と上手く付き合えなくなる原因だった。
友達も多い人だし、帰る方向も途中から間逆になるので一緒に帰ることもなかなか出来ず、週末の予定を聞いてもクラブの予定が必ず入っていた。「一緒に遊びたい」と「しつこく思われたくない」という思いをごちゃごちゃさせながら、遊びに行けませんかとメールを送り、玉砕する日々が続いていた。それでもS君は「今は忙しいけれど、今度どこか遊びに行こう」と返事をしてくれて、その優しさが辛くもあった。
それが数週間続いたある日、忘れもしない2012年7月の海の日。S君とデートできる日が来た。前の晩は全然眠れなくて2時間おきくらいに目覚めて、気温31度超えの人ごみだらけの仙台駅前にフラフラの状態で向かった。わたし服のS君は期待を裏切らずカッコよかった。
マックに行って少しでも女子感を出そうと食べたこともないえびフィレオバーガーを食べて、S君に頼み込んでプリクラを撮ってもらって、恐らくプリクラを撮ったことのなかったS君のポーズや落書きはぎこちなくてとても面白くて、ひたすら笑ってた。映画館に行って、映画が始まるまでの1時間もずっとロビーで話してた。全てがわたしの理想通りだった。このとき見た風景も、話したことも、映画館で嗅いだポップコーンのにおいも、6年経った今でも覚えている。


わたしには高校生のうちに「彼氏と花火に行きたい」という夢があった。
高1の時は夏休み前に話しかけることができず、願い叶わず。高2の時も何も起きず。チャンスはこの1年しかなかった。
初デートの時からわたしはS君に花火大会に行きたいことを話し、ちょうど会場がS君の地元に近いこともあり、予定を空けておいてほしいと話していた。夏休みの間のわたしは荒んでいた。学校に行くこともないし、例によってS君は忙しく、「ヒマな日があったら連絡ちょうだい!」と主導権を握らせても、連絡してくることはなかった。本当に忙しかったのかもしれないけれど、あまりにも連絡がないので、もう嫌われたのではないかと悩んでいた。
連絡がないまま時間だけが流れて、ついに花火大会前日。痺れを切らしたわたしは「花火大会行けそう?」とS君にメールを送ったものの、案の定返事はNOだった。「ごめんね」というS君からの返事に、「何で行けないの」という怒りではなく、「S君を謝らせてしまった」という申し訳なさが押し寄せてきて、「わかった」という涙の絵文字付きの返事が、S君に送る最後のメールとなった。

それからS君にメールをすることもないし話すこともなくなったけれど、恋心はなかなか静まることなく、ひたすらS君を目で追っていた。「付き合ってるのに片思い」という曲があるけれど、まさにそんな心境だった。S君の学生生活にわたしという存在はいらないと決め付けて身を引いたけれど、今思えばS君は告白したときに「忙しいけれどそれでも良かったら」と言っていて、それを承知の上で付き合ったのだから仕方のないことだった。けれど「もっと一緒に過ごそう」だなんてわがままを言えるわけもなかったから、どうすることもできなかった。
そのまま月日だけが流れて、卒業式を迎えた。相変わらずS君は友達と一緒にいて、卒アルにメッセージを貰うこともできなかった。S君の姿を瞳に焼きつけて、わたしは母校を後にした。

当時わたしは、早稲田ちえ著の「NERVOUS VENUS」という少女漫画の影響を受けていた。主人公ハルには好きな人アキがいたのだけれど、アキが不慮の事故で亡くなってしまい、亡くなった後でお互い両想いだったことに気付かされるという少女漫画にしては重すぎる話。「どうしてそばにいたのに伝えなかったの」と後悔するハルのシーンが苦しくなるくらいリアルで、どうしようもなくなる前に行動をしなければ、と常に思っていた。だからろくに話したことも無かったS君にメアドを聞いたし、告白もした。それなのにどうして、身を引くべきだと思った時に、きちんとケジメをつけなかったのか。蛇口を開きっぱなしにしてしまったのか。高3から6年経った今、後悔してももう遅い。

会社に行けなくなった

※くらいにっき

月曜日。いつも通り顔を洗って着替えたのに、どうしても会社に行きたくなかった。身体が鉛のように重くて、あの休職していた2ヶ月間の、ひたすら眠り続けていた時期のようだった。どうせ3月までには会社を辞める予定で、有休があと5日残っていたので、会社を休むことにした。とにかく眠気がひどくて、11時から20時前まで眠り続けた。
火曜日。朝のしんどさは昨日よりもひどかった。「しにたい」という気持ちに取り憑かれていた。今でも突発的に思うことはあるけれど、ここまでひどいのは久しぶりだった。なんとか準備を終えて部屋を出たものの、部屋を出てアパートの階段を下りようとしても、一歩階段を下りればそのまま飛んでしまうような気がしてひどく怖くなった。泣きながら部屋に戻って、2時間ぐらいずっと涙が止まらなかった。

「しにたい」と思うとき、母親にうつと診断されたと告げたときに「しにたいと思うことはある?」と聞かれて、軽くおどけるように「うん、たまにね。」と応えたときの、母親のあの辛そうな顔を思い出して、ひどく悲しくなる。自意識過剰かもしれないけれど、わたしがしんだらたぶん母親も後を追うと思う。わたしがしぬことで母親が悲しむことが一番いやだった。逆に言えば、たぶん母親がいなかったらわたしはとっくにしんでいたかもしれない。

自分がこんなに弱い人間だなんて思っていなかった。学生の頃も人間関係がめんどくさかったり、人の目が怖かったりして保健室に逃げたり早退することはしょっちゅうあったけれど、学生なら何年か待てば卒業することができる。社会人だっていやになれば職場を変えることができるけれど、職場を変えたところでわたしは素直に会社に行くことができるだろうか。会社に行けなければ生きていけなくなる。死ぬくらいなら会社を辞めろ、なんてよく言うけれど、そんな判断もできないくらい弱っている人がしぬなんだろうなあ。


火曜日、わたしは藁にも縋る思いでかかりつけの心療内科を訪れた。それまでどういうわけか心療内科に行くときに限って調子の良い日ばかりだったから、しにそうなわたしを見て先生は驚いていた。
わたしはいわゆる「双極性障害」なんじゃないかと思っていた。調子の良い日と調子の悪い日の差が激しくて、良い日は何でもできるような気がするし色んな人とも話したくなる。悪い日はうってかわって、涙が止まらなくなったり、身体が鉛のように重くて起き上がれなかったり、1日12時間とか余裕で眠ったりする。そう主張したけれど、ただ追加の安定剤を処方されただけだった。本当に双極性障害ではないのかもしれないけれど、いっそ診断してくれた方が楽だった。

すきになった人のはなし

学生時代の片想いがとにかく楽しかった。昔から手の届かない存在に憧れた。
中学生の頃は「おおきく振りかぶって」の水谷にガチ恋をしながら(篠岡に惚れている描写が無理になって読むのをやめた)、三次元でも憧れの存在が何人かいた。野球部のキャプテン、クラスで一番頭の良いクールな子、バカだけどみんなの人気者……中でも一番好きだったのが、どこかの国のハーフである、1つ上の先輩だった。
文化祭で先輩がバンドを組んでベースを演奏しているのを見て(たぶんバンプの天体観測)、それまで存在も知らなかったのに一目惚れした。一体どうやって調べたのか、すぐに先輩の名前を調べて、クラスとバスケ部であることを特定した。この頃はいわゆる陽キャの人たちはほとんど前略プロフを作っていたので、リンクを辿ったりして見つけたんだとおもう。当時使っていたHDDを久々に開いたら、前略プロフから見つけたのであろう先輩が写っている写真が保存されていた。恐るべしネトスト力。

先輩に対しても付き合いたいとか話したいという感情は一切無く、むしろこちらの存在は知られたくなかった。遠くで見るだけで十分という、まさに推しに対するそれだった。ごく稀に校舎内で見かけるだけで発狂し、職員室前に飾ってあるバスケ部の集合写真に先輩の姿を発見してからは、そこを通るたびに写真を凝視した。
そのうち仲間内で先輩の勝手なキャラ付けが始まった。赤の他人なのに失礼だ。イチゴオレを飲んでいるところを見かけたわけでもないのに、ギャップ萌えするからという理由だけで、勝手に「イチゴオレが好き」という謎の設定を付けた。
事件は球技大会で起きた。通路を歩いていると、遠くでしか見かけたことのなかった先輩が向こうから歩いてきた。心臓が爆発しそうになりながらすれ違おうとしたわたしの目に飛び込んできたのは、先輩が手に持っているイチゴオレだった。学校ではなるべく先輩のことを話さないようにしていたし、学校外で話すときにも名前を出すことは絶対にしなかったので、こちらの存在やキャラ付けしていることが本人にバレているわけでは無い。自分に透視能力でもあるんじゃないかと思った。

やがて、廊下に「卒業まであと○○日」のカウントダウンが掲示されるようになった。先輩が卒業してしまえば、姿を見ることは絶対に無くなる。カウントダウンの数字が小さくなっていくたび胸が締め付けられて、だからといって何をするわけでもなく、そのまま先輩は卒業した。

その後のわたしはどうしたかというと、3年生になると同時に突然嵐にドハマりして、嵐熱が治まった後は野球の面白さに目覚めた。ときめきを補給しようとしていた。高校に入ってから「彼氏が欲しい」という感情が芽生え、恋愛をするようになった。
一番思い出に残っているのが、高3の頃に付き合ったクラスメイトのS君だ。その頃わたしはミッシェル・ガン・エレファントにハマり、DVDでアベを見ては号泣するくらい重症だった。このS君が眼鏡をかけているアベにそっくりで、S君のことが気になるようになった。完全に代償行為だ。
S君は女子とは関わらないようなタイプだったので話したこともなかったけれど、どうしても近付きたかったわたしはメアドを書いたメモ用紙(当時はLINEなんて無かった)を突然S君に渡すという暴挙にでた。驚いたS君はその場でメモ用紙を開き、絶対ドン引きされると確信していたわたしにめちゃくちゃ爽やかな笑顔で「オッケー!」と返してくれた。ますます好きになった。
それからわたしとS君はメールを交わしたり、学校でもたまに話す仲となった。やがて大学のオープンキャンパスの季節になり、一緒に行くこととなり、その帰り道に告白をして、OKをもらえた。帰り道のわたしは何も考えられなくなって、ひたすら脳内で銀杏BOYZの「夢で逢えたら」が流れていた(当時めちゃくちゃ聴いてた)。
S君とは1度だけデートをしたけれど、彼は本当の意味でリアルが充実している人(所属しているサッカークラブとか友達と遊ぶとか)で、なかなか予定も合うことがなかった。楽しみにしていた花火大会も断られた頃、わたしと居ても迷惑なのでは?というメンヘラ思考に陥り、離れた方がいいのかもしれないと思うようになった。そして秋から卒業まで話すこともなく自然消滅となってしまった。

あの頃は楽しかったと今でも懐かしむし、何度も夢にみる。
当時はすべてが新鮮でドキドキすることばかりだった。中学生の頃はたまたま登校中に先輩を見かけて、白と黒の市松模様のマフラーをしているということがわかっただけで嬉しかったし(わたしの記憶力も恐ろしい)、S君と話すための口実としてクッキーを焼いて持っていったりしていた。S君に告白した日のことも、最初で最後のデートで話したことも、すべて覚えている。S君に関しては嫌な面を知らないまま離れたから、完璧な人という記憶のまま6年も経ってしまった。いまでもS君が夢に出てくるときはわたしは高校生のままだし、あのとき感じたときめきもぜんぶ蘇る。
けれど、もしも今先輩やS君に会ったとしても、わたしは彼らを選ぶことはないとおもう。逆に今付き合っている彼氏も、学生時代に出会っていたとしても付き合っていなかった。実際学生時代は爽やかで運動神経の良い人が好きだったから(小学生か?)、いまの彼氏のことをすきになったことが不思議でもある。いままで色んなひとと出会って、いろんなことを経験したからこそ、いまの彼に惹かれたのだろう。

家族とは

わたしは大企業に勤めている父と専業主婦の母のあいだに生まれ、不自由のない人生を送ってきた。小学生時代は途中から友達が一人もいなかったけど、一人でのびのびと絵を描きながら過ごしていたし、一番人間関係で苦労した中学生時代も母がいつも家にいて話を聞いてくれたから、保健室に度々通いながらもなんとか耐えることができた。
「家族なんて周りから見ればみんなどっかヘンだよ」なんて台詞は何の漫画だったか。その通り、わたしの周囲は少なからず家族関係が変わっている人が多い。わたしの家族もごく普通だと思っているけれど、たぶん傍から見ればどこかは変なんだと思う。

歴代彼氏は特殊な家族の人が多かった。高校生の頃に付き合った彼氏は、付き合って半年経った頃に突然親御さんに会ってほしいと言われ、連れて行かれたファミレスでぶ厚い宗教のカタログを見せられ、2時間くらいかけて勧誘された。その途中彼氏は一言も話すことなく、親御さんが帰った後に「入会しなくていいからね」と言われ安心していたのだけれど、数日後「やっぱり入会してくれないかな?」と言われた。ここで愛が冷めればよかったのだけれど、初めての恋愛でわけがわからなくなっていたわたしは悩んだ末にメンヘラ状態になり、結局振られた。
数年後に付き合った彼氏は、家庭環境がとにかく最悪だった。実家が自営業で彼氏もそこで働いていたのだけれど、ろくに給料を貰えていなかった。詳しく聞いていないのでよく分からないけれど、身内に金遣いが荒い人がいるらしく、彼氏のチケットや車を勝手に売られていたりした。彼氏本人は良い人だったのだけれど、いつまで経っても落ち着かない家庭環境が恐ろしくなり、別れた。
次に今付き合っている彼氏。今まで家庭環境についてあまり聞かされることがなく、トラブルなども無かったので安心していたのだけれど、妹がニートだった。どうやら親御さんも仕送りだけして完全に放置している状態みたいなので、将来どうなることやら……。

なるべく安定した家族の元へ嫁ぎたいと思っているものの、付き合ってすぐに「どんな家庭環境?」なんて聞けるわけもないし、家庭環境が良いからって性格が合わなきゃ意味がない。実際、長男よりもリスクの少ない次男や一人っ子と付き合っても、性格がぜんぜん合わなくて一週間も持たなかった。

生まれてくる環境や、育ってきた環境が違うだけで、どんな人生を歩むか違ってくるのは当たり前で。自分でどうにもできないことで苦しんでいる人が、世の中にはたくさんいる。かといって他人のことまで救えるわけがないし、わたしに出来ることといえば、いつか育てるであろう子どもに、健康的で最低限の暮らしをさせてあげる、くらいしかないのだろう。

似たもの同士の似非恋愛

3年付き合っているわたしの彼氏は、わたしとはまるで正反対の性格をしている。自分の考えを持っていて、物事を倫理的に考えて、だいぶ理屈っぽい。口喧嘩しても勝てないタイプ。対するわたしは、人に流されやすく、あまり考えずに行動し、物事をあまり深く考えたくない。生まれてこのかた口喧嘩もしたことがない。そんなわたしに似ている男友達が、数年前までいた。

その子とは、高校生の頃にTwitterで知り合った。ツイートに対してよく返信をくれていた。高校生の頃のわたしはプロ野球がだいすきで、その子も野球が好きだった。同じチームのファンの、関西に住んでいる同い年の男の子、名前をA君とする。
A君からSkype通話をしようと切り出され、不定期でSkype通話をする仲となった。どんな話をしていたのかは全然覚えてないけど、まぁ野球のこととか学校のこととか他愛もない話だったとおもう。お互い実家住まいだったから、深夜に繋いで、長いときで3時間くらい会話をしていた。A君の話は面白くて、当時学校生活をうまく送れていなかったわたしにとって、とても楽しい時間だった。
やがてA君からビデオ通話をしようと切り出された。画質は悪かったけれど、A君の顔はめちゃくちゃ好みだった。A君はTwitterでひたすら彼女がほしいと呟いていたけれど、べつに恋愛に発展することは一切なかった(Twitterの内容から察するに、A君は相当の面食いだった)。当時のわたしは初めての彼氏がカルト教団に入っていたという理由で失恋したばかりだったので、わたしから付き合いたいとか切り出すこともなかった。

A君とわたしの性格は似ていた。物事をあまりよく考えないところ、楽観的なところ(今は悲観的になってしまったけれど……)。友達が少なかったわたしはこんな人に会ったことがなかったので、話している間はとにかく心地が良かった。たまにしか連絡が来ない、つかず離れずな距離感も良かった。
音楽の好みも似ていた。お互い好きな曲をSkypeで送り合って、これ知ってるだとか、良い曲だよねだとか、夜通し語り合っていた。
今でもそんな関係が続いていれば良かったのにと、切に思う。

時は流れて、もうすぐ社会人になる頃、わたしは東京に移住していた。ちょうどA君が東京に来る用事があるとのことなので、5年間会ったことのなかったわたし達は、初めて会うこととなった。
生で見るA君はかっこよかった。歴代彼氏と比べても、2番目のかっこよさだった。そんな状況にわたしは舞い上がって、お酒をたくさん飲んで、一線を越えてしまった。けれど彼女にはなれなかった。

それから少しして、わたしは初任給をはたいてA君に会いに行った。A君から来てほしいと言われて、喜んで行ったのに、真夜中のSkype通話のような心地良さはもう無かった。A君は大学のイベントとかで疲れていると言って、ずっとテンションが低かった。流れで来てほしいと言ったことを後悔しているんだと確信した。わたしも来てしまったことを後悔していたから。

旅行の最終日、寝坊をしたと言ってA君は待ち合わせ場所に来なかった。悲しい旅行を終えた後、数通だけLINEを交わした。A君はわたしに好きだと言ってくれたけど、また流れで言ってるんだろうなと思った。わたしも流れで好きだと言って、それから二人が連絡を取ることはなかった。

数ヶ月後、わたしは今の彼氏である、同期の男の子と付き合うことになった。最初は若気の至りこそあったものの、彼は考えがしっかりしていて、当時恋愛関係がぐちゃぐちゃだったわたしを更正してくれた。たぶん彼がいなかったら、わたしはまた適当に男の子に好きだと言って、適当に付き合って、そんな女の子だったとおもう。実際、今のA君はそんな生活を送っている。
正直、今でもあの真夜中のSkype通話の、A君とバカみたいな話をしていた楽しさは忘れられない。けれど一線を越えた以上、当時と同じ友人関係は続けられなかった。人にすぐ流される似たもの同士の恋愛なんて、できるはずがなかったのに。

ずっと前にA君が面白いと言っていた漫画をなんとなく読んでみたら、とてつもなく好みでちょっとムカついた。やっぱりわたしと彼はよく似ていて、ずっと友達でいたかったなぁとひそかに後悔した。

大森靖子という沼

以前から大森靖子という存在は知っていたものの、曲を聴いたことは一度もなかった。ヴィレッジヴァンガードによく置いてあるCDというイメージだった。
きっかけは千葉雄大が昔からファンだということ、MVに出ているということで、「draw (A) drow」の動画を見てみた。最初は独特な世界観でよく分からなかったものの、なにかクセになる魅力のようなものがあって、気になったわたしは「絶対彼女」「ミッドナイト清純異性交遊」の動画を次々と見た。あいかわらず世界観はよく分からないけれど、ピンク色のぬかるみにはまっていくような感覚がしていた。

AppleMusicに加入していると、新しい音楽を開拓したいとき、配信されているか否かで夢中になるまでの速度が全然違ってくる。配信されていないとなると、Youtubeで聴いた楽曲がよほどストライクでない限り、TSUTAYAでCDを借りることはあまりない。きっと損していると自分でも思うけれど、気になってTSUTAYAでCDをレンタルし、WALKMANに入れただけで満足してしまった曲が百いくつもある。
その点大森靖子は新規に優しかった。CDを取り込まなくても、Youtubeを開かなくても、通勤の電車内でただ寝ているだけで曲を聴くことができる。今でも世界観はよくわかっていないけれど、好きな曲はたくさんできた。なにもやる気がなくて、近頃は身なりさえ気にすることができていなかったけれど、「GIRL'S GIRL」を聴いてわたしの中の眠っていた女子力が目を覚ました。「IDOL SONG」を聴いてアイドルにハマりたくなって、色んなアイドルの動画を見るようになった。道重さゆみに宛てたという「ミッドナイト清純異性交遊」は溢れでる愛が凄くて、曲も歌詞も全部きらきらしてて、わたしもこんな風にだれかを愛したいとおもった。

最新アルバムである「クソカワPARTY」の楽曲がどれも最高で、まだ聴けていない曲がいくつもあるくせに、ライブに行ってみたいと思った。ツアーファイナルである東京公演はSOLDOUTしていたけれど、有難いことにチケットを譲っていただけることとなった。グッズもどれもかわいいし、生の大森靖子は絶対に最高だし、楽しみしかない。
歌手でもアニメでもどんなコンテンツでも、こういうハマりたての時期が、とにかく一番たのしい。