桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

会社に行けなくなった

※くらいにっき

月曜日。いつも通り顔を洗って着替えたのに、どうしても会社に行きたくなかった。身体が鉛のように重くて、あの休職していた2ヶ月間の、ひたすら眠り続けていた時期のようだった。どうせ3月までには会社を辞める予定で、有休があと5日残っていたので、会社を休むことにした。とにかく眠気がひどくて、11時から20時前まで眠り続けた。
火曜日。朝のしんどさは昨日よりもひどかった。「しにたい」という気持ちに取り憑かれていた。今でも突発的に思うことはあるけれど、ここまでひどいのは久しぶりだった。なんとか準備を終えて部屋を出たものの、部屋を出てアパートの階段を下りようとしても、一歩階段を下りればそのまま飛んでしまうような気がしてひどく怖くなった。泣きながら部屋に戻って、2時間ぐらいずっと涙が止まらなかった。

「しにたい」と思うとき、母親にうつと診断されたと告げたときに「しにたいと思うことはある?」と聞かれて、軽くおどけるように「うん、たまにね。」と応えたときの、母親のあの辛そうな顔を思い出して、ひどく悲しくなる。自意識過剰かもしれないけれど、わたしがしんだらたぶん母親も後を追うと思う。わたしがしぬことで母親が悲しむことが一番いやだった。逆に言えば、たぶん母親がいなかったらわたしはとっくにしんでいたかもしれない。

自分がこんなに弱い人間だなんて思っていなかった。学生の頃も人間関係がめんどくさかったり、人の目が怖かったりして保健室に逃げたり早退することはしょっちゅうあったけれど、学生なら何年か待てば卒業することができる。社会人だっていやになれば職場を変えることができるけれど、職場を変えたところでわたしは素直に会社に行くことができるだろうか。会社に行けなければ生きていけなくなる。死ぬくらいなら会社を辞めろ、なんてよく言うけれど、そんな判断もできないくらい弱っている人がしぬなんだろうなあ。


火曜日、わたしは藁にも縋る思いでかかりつけの心療内科を訪れた。それまでどういうわけか心療内科に行くときに限って調子の良い日ばかりだったから、しにそうなわたしを見て先生は驚いていた。
わたしはいわゆる「双極性障害」なんじゃないかと思っていた。調子の良い日と調子の悪い日の差が激しくて、良い日は何でもできるような気がするし色んな人とも話したくなる。悪い日はうってかわって、涙が止まらなくなったり、身体が鉛のように重くて起き上がれなかったり、1日12時間とか余裕で眠ったりする。そう主張したけれど、ただ追加の安定剤を処方されただけだった。本当に双極性障害ではないのかもしれないけれど、いっそ診断してくれた方が楽だった。