桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

わすれられない人

 高3の頃に付き合っていたS君の話は以前の記事でも書いたけれど、ずっと前に書いていた文章が出てきたので、ここで供養します。

 

わたしには2015年から付き合って、付き合ってからすぐ同棲を始めた彼氏がいる。同じ会社に同期で入って、もう一人同期の男の子といつも3人で遊んでて、そのうち彼のことが気になって、流れで付き合ったという馴れ初めだ。付き合う前から付き合い始めはとても好きで、ドキドキしていたんだけれど、今となっては彼氏というかもはや家族みたいな存在だ。もちろん大切だし、赤の他人同士一緒に住んでいる以上めちゃくちゃムカつくこともたまにはあるけれど、会社にいる時とかに今どうしてるかなって考えることもある。週末に遊びに行くのもとても楽しい。ドキドキするというより、一緒にいて楽しい存在だ。

そんなわたしには忘れられない人がいる。高3の頃、当時宗教的なほどハマっていたミッシェル・ガン・エレファントアベフトシにとても似ているクラスメイトがいて、最初は似ているな~くらいにしか思っていなかったのだけれど、アベを見るみたいな気持ちで眺めているうちに好きになってしまったという流れだった。何度考えても不純な理由。
中学生までは野球部の部長を好きになったり、文化祭のバンド発表で見た先輩を好きになったりとにかくミーハーな性格で、恋というか憧れに近かった。ちゃんとした恋愛をしたのは高1の頃。最後はボロボロになって失恋するというあまり思い出したくも無い思い出。ちなみにこのときの彼も、前から少し気になってはいたけれど、調理実習のときに「砂糖使う?」と聞いてくれただけで本格的に好きになるという、どこの童貞だよという感じのキッカケだった。
人を好きになると周りが見えなくなる危ない性格なので、高1の彼の時も大して話したことも無かったのに「メアド交換してくれない?」と話しかけ、恐らく彼の方もチョロい性格だったようで3日後には付き合っていた。以上、高1の頃の恋愛。
時を経て高3春、周りが見えなくなる性格は変わっておらず、話したことといえば同じ掃除当番だったときに勇気を出して「ホウキとってきたよ!」とホウキを渡したくらいだったにも関わらず、とりあえずメアドを交換しようと決めた。好きになる人はみんな「成績が良くてクラスの陽キャとも陰キャともそれなりに仲が良い友達が多い人気者」といったタイプで、当時好きになった彼・S君にも、四六時中行動を共にする友達が数名いた。高1の時のように「メアド交換してくれない?」と話しかける隙も一切無く、「良かったらメールしてください!」とわたしのメアドを書いたメモ用紙を渡すことにした。その一瞬の隙でさえなかなか見つからず、友達と「今日も渡せなかった……」と嘆いたことをよく覚えている。

ようやく渡せた日のことも鮮明に覚えている。その日もS君は友達と帰ろうとしていたのだが、これ以上待ち侘びるのは嫌だと痺れを切らし、気付いたら後ろから彼の名前を読んでいた。ろくに話したこともないクラスの女子に突如呼び止められた彼は、驚いた顔で振り返った。S君の友達は何かを察したのか(この友達はクラス委員をしていて、とても良い人だった)、先に行ってるよ、と退散してくれた。「これ、良かったら……」とメモを渡すと、S君はその場でメモを見た。絶対おかしいやつだと思われる、素っ気無い返事をされる。と早くも後悔していたわたしに、S君は今までに見たこともないような爽やかな笑顔で、「オッケー!」と笑ってくれた。本格的にS君に惚れた瞬間だった。
メモを渡したけれどちゃんとメールをくれるのだろうかとモヤモヤしている帰り道、「○○です」といったシンプルなメールが届いて、友達と一緒に喜んだ。しつこいと思われたくなくてメールをするのもいちいち緊張して、それでもテストのこととか共通の話題を見つけて、たった1行のメールのやり取りが42通も続いた時は本当に嬉しかった。件名に「Re:」が増えていくことがわたしの青春だった。

それからメールをやり取りするような関係になって、学校のことや課題のこととか他愛も無い話をするようになった。
わたしの高校は付属大学があり、付属大学のオープンキャンパスに一緒に行くことになった。一緒に行動できるはずの友達がいるにも関わらずS君はわたしと一緒に行動してくれて、食堂で大好きなからあげ定食を食べたけれど、緊張で喉も通らなかった。数週間前までは話したことがなかった関係が嘘のようにひたすら話して、ひたすら笑っていた。
帰り際、S君から「女子とあまり話したことなかったから新鮮で楽しかった」と言われて舞い上がったわたしは、そのままS君に告白をした。無言になって、あぁ終わった…と思ったけれど、S君は照れた様子で「色々忙しいけどそれでも良かったら」とOKしてくれた。この言葉がわたしをひたすら苦しめることとなる。


その言葉通りS君はとにかく忙しい人だった。サッカー少年で、地元のサッカークラブに所属していた(このクラブ出身の選手が今日本代表にいるくらい地元でも有名らしい)。あいにくわたしはたまの野球観戦とバイトくらいしか用事がないヒマな高校生で、付き合うカップル=デートをしなければならない、みたいな考えをしていて、今思えばそれがS君と上手く付き合えなくなる原因だった。
友達も多い人だし、帰る方向も途中から間逆になるので一緒に帰ることもなかなか出来ず、週末の予定を聞いてもクラブの予定が必ず入っていた。「一緒に遊びたい」と「しつこく思われたくない」という思いをごちゃごちゃさせながら、遊びに行けませんかとメールを送り、玉砕する日々が続いていた。それでもS君は「今は忙しいけれど、今度どこか遊びに行こう」と返事をしてくれて、その優しさが辛くもあった。
それが数週間続いたある日、忘れもしない2012年7月の海の日。S君とデートできる日が来た。前の晩は全然眠れなくて2時間おきくらいに目覚めて、気温31度超えの人ごみだらけの仙台駅前にフラフラの状態で向かった。わたし服のS君は期待を裏切らずカッコよかった。
マックに行って少しでも女子感を出そうと食べたこともないえびフィレオバーガーを食べて、S君に頼み込んでプリクラを撮ってもらって、恐らくプリクラを撮ったことのなかったS君のポーズや落書きはぎこちなくてとても面白くて、ひたすら笑ってた。映画館に行って、映画が始まるまでの1時間もずっとロビーで話してた。全てがわたしの理想通りだった。このとき見た風景も、話したことも、映画館で嗅いだポップコーンのにおいも、6年経った今でも覚えている。


わたしには高校生のうちに「彼氏と花火に行きたい」という夢があった。
高1の時は夏休み前に話しかけることができず、願い叶わず。高2の時も何も起きず。チャンスはこの1年しかなかった。
初デートの時からわたしはS君に花火大会に行きたいことを話し、ちょうど会場がS君の地元に近いこともあり、予定を空けておいてほしいと話していた。夏休みの間のわたしは荒んでいた。学校に行くこともないし、例によってS君は忙しく、「ヒマな日があったら連絡ちょうだい!」と主導権を握らせても、連絡してくることはなかった。本当に忙しかったのかもしれないけれど、あまりにも連絡がないので、もう嫌われたのではないかと悩んでいた。
連絡がないまま時間だけが流れて、ついに花火大会前日。痺れを切らしたわたしは「花火大会行けそう?」とS君にメールを送ったものの、案の定返事はNOだった。「ごめんね」というS君からの返事に、「何で行けないの」という怒りではなく、「S君を謝らせてしまった」という申し訳なさが押し寄せてきて、「わかった」という涙の絵文字付きの返事が、S君に送る最後のメールとなった。

それからS君にメールをすることもないし話すこともなくなったけれど、恋心はなかなか静まることなく、ひたすらS君を目で追っていた。「付き合ってるのに片思い」という曲があるけれど、まさにそんな心境だった。S君の学生生活にわたしという存在はいらないと決め付けて身を引いたけれど、今思えばS君は告白したときに「忙しいけれどそれでも良かったら」と言っていて、それを承知の上で付き合ったのだから仕方のないことだった。けれど「もっと一緒に過ごそう」だなんてわがままを言えるわけもなかったから、どうすることもできなかった。
そのまま月日だけが流れて、卒業式を迎えた。相変わらずS君は友達と一緒にいて、卒アルにメッセージを貰うこともできなかった。S君の姿を瞳に焼きつけて、わたしは母校を後にした。

当時わたしは、早稲田ちえ著の「NERVOUS VENUS」という少女漫画の影響を受けていた。主人公ハルには好きな人アキがいたのだけれど、アキが不慮の事故で亡くなってしまい、亡くなった後でお互い両想いだったことに気付かされるという少女漫画にしては重すぎる話。「どうしてそばにいたのに伝えなかったの」と後悔するハルのシーンが苦しくなるくらいリアルで、どうしようもなくなる前に行動をしなければ、と常に思っていた。だからろくに話したことも無かったS君にメアドを聞いたし、告白もした。それなのにどうして、身を引くべきだと思った時に、きちんとケジメをつけなかったのか。蛇口を開きっぱなしにしてしまったのか。高3から6年経った今、後悔してももう遅い。