桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

25歳の初恋

昼は新生活に胸を膨らませて、夜は好きな人と元奥さんのことを考えて憂うつになって、好きな人と過ごした時間を思い返して眠りに就く。
そんな毎日を送っている。
彼に恋してから、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。


久々に母と飲みに出かけて、18時から1時までひたすら喋り倒した。
好きな人とインドカレーを食べていたときの大したこともない出来事を話していたとき、突然母が泣きだした。
こんなに楽しそうに恋しているのを初めて見た。今までどこかつまらなさそうだったから、本当にその人のことが好きなんだね、と話す母の言葉と、熱燗のぬるさが今でも胸に染みついている。

わたしは高校の頃、どうしようもない恋愛ばかりしてきた。
高1のときに初めてできた彼氏とはケンカばかりで、半年経った頃にフラれた。それ以来、とにかく心細くて、高2だった当時はマッチングアプリなんてものはなかったので「メル友掲示板」みたいなところで出会いを求めた。
高2というだけで男はいくらでも釣れる。今思えば体目的の人しかいないに決まっているのに、手に入るわけがない愛をわたしは必死で求めていた。
その頃は学校も居心地が悪くて、家庭も荒れていて、とにかく誰かと繋がっていたかった。

高校を卒業してから少しはマシになったけれど、そこに本当の愛なんてなかった。
付き合えそうな人に声をかけて、自己満足の愛をぶつけて、何度もケンカをした。
相手に合わせて成長なんてしたくなかったし、今の自分を好きになってくれない男なんていらなかった。
最低な女だ。


母は何度も繰り返す。
片想いは辛いこともたくさんあるけれど、結ばれたとしてその後にケンカすることがあっても、好きだった気持ちを思い出せば大丈夫。もしも結ばれなくても、相手のために成長して、貴重な経験をさせてくれた彼に感謝するんだよ。


宇多田ヒカルの「初恋」を聴いて、わたしの歌だ、と思った。
好きな人のすべてが愛おしい。手に入らないことが苦しくて、隣にいさせてもらえないことが辛くて、好きになりたくなかったと何度も思った。
それでも一緒に過ごしたときのことを思い返すとどうしようもなく楽しくて、次はいつ会えるかな、と考える。
25歳のちょうど立春、わたしはようやく初恋を知り、穏やかな失恋をして、途方もない片想いを始めた。

 

好きな人の心には、未だに元奥さんが棲んでいる。
その代わりになれるならそれでもいいから、好きな人の傍にいたい。けれどそんなことをするような人ではないし、誰も誰かの代わりになんてなれない。
わたしにとっての好きな人も、誰も代わりなんてできないだろう。これがあと何年続くのだろうか、一生独りぼっちなのだろうか。
漠然とした不安は、今日もわたしを苦しめる。