桃色のうさぎ

大丈夫な日の私だけをみつめてよ

最後の恋だとまた見間違った

去年出会ったばかりの人のことを好きになって、新卒から5年間同棲していた彼氏と別れて、給料ほぼすべて貢いでいた男装喫茶の推しに別れを告げた。
すべてここ二週間の出来事だ。


彼のことをいつから好きだったかなんて分からない。
彼曰く、結構最初の頃からサインをくれていたよね、なんて言うけれど、最近までは元彼と別れる気も無かったし推しが世界で一番かっこいいと思っていた。
あの夜までは。

たしかに興味が無かったといえば嘘になる。
職場関係で知り合った彼は、いつもグループの中心みたいな存在で、みんなを笑わせてくれる人だった。
今思えば、その人に会いたくて集まりに行っていたのかもしれない。


急展開はたったの一晩だった。
グループLINEに、彼からのご飯の誘いが入った。その日わたしは歯医者の予定が入っていたけれど、どうしてだか絶対に行きたくなってしまい、わざわざ歯医者の予定をリスケした。
参加者はわたしと彼、もう一人の三人だった。
わたしは食事に合わせて呑むお酒を変えるこだわりがあるのだけれど(前菜にはスパークリング、肉には赤ワイン、魚には日本酒など)、その傾向が彼と同じだった。そんな男性に出会ったのは初めてだった。
他愛もない話をする中、楽しくなったわたしはすっかり酔ってしまった。
この辺りから記憶は曖昧だ。二軒目からはわたしと彼の二人きりで、そろそろ帰った方がいいんじゃない、と話す彼に、三軒目に行くことを強請った。仕方なさそうに、終電までには帰るんだよ、と断らなかった彼の表情だけを鮮明に覚えている。


わたしは昔から酒に呑まれやすく、少しでも好意がある相手には男女年齢関係なくくっついてしまう癖がある。
くっつくことはしなかったものの、「わたしに彼氏がいなかったら○○さんのこと口説いたのにな」なんて発言をしてしまった。
そういうことは彼氏がいないって嘘をついて言うんだよ、と、彼は呆れたように笑った。


18時から飲んでいたというのに、時計はあっという間に23時を回った。
ちょくちょく終電を調べていたつもりだったけれど、きちんと時間を認識できていなかったのかもしれない。
我に返ったのは、元彼宅への終電が去ったその瞬間だった。
そのとき、彼がどんな表情をしていたのか覚えていない。
わたしと彼は必然的に、そこから数駅の彼の家に行くこととなった。


男の一人暮らしとは思えないくらい、彼の家は清潔だった。
1DKのダイニングテーブルに向かい合わせで座って、もう散々飲んだというのに彼の家にあったワインを飲みながら、相変わらず他愛もない話をした。
ただ覚えていることといえば、わたしがお気に入りでつけているアクセサリーを褒めてくれたこと、前日に塗り直したネイルを褒めてくれたことだけだ。

彼は来客用の布団を敷いてくれた。
ベッドを使っていいよ、と言う彼から来客用の布団を奪い取り寝転がると、逆光になった彼の姿が見えた。
完全に魔が差した。わたしは彼の腕を引っ張り、抱き寄せた。
もうベッドで寝よう、と言われるがままにわたしはベッドに寝かせられ、一度だけキスをされた。
彼の腕の中で微睡んでいるとき、誰のものでもなかったらよかったのに、と低く囁かれて、皮肉にもそれが彼のことを本気で好きになってしまった瞬間だった。

 

翌朝、少し気まずい空気の中、ダイニングテーブルで向き合ってコーヒーを飲んだ。
椅子の上って正座したくなるよね、と何の脈絡もなく言い出す彼に、わたしは体育座りしたくなります、と答えながら、こんな朝を毎日迎えられたらと本気で願った。
二人で一緒に最寄り駅へ向かって、それぞれ職場へ向かった。あの日の晴れやかな冬の空気は一生忘れることはない。

 


あの晩の翌々日、元彼にすべてを打ち明けた。
他に好きな人ができてしまったこと、一人暮らしを始めること、元彼はすべて受け入れてくれた。
わたしは生活する上で元彼にとても依存していたから、わたしの身勝手な理由ではあるけれど、互いにとって良い決断だったと思っている。


お互いに20代で、もう少し馬鹿だったら、このまま付き合えたのかもしれない。
彼は一度結婚をしていて、奥さんを他の人に取られたという深いトラウマを持っていた。
悪いのは完全にわたしの方だというのに、翌日から彼は後悔に苛まれていた。言わば、過去に自分がされたことを他人にしてしまったのである。
わたしは完全に彼のことしか眼中になくなってしまって、今までの馬鹿な恋愛みたいにとにかくアプローチをした。それがますます彼にとっての重荷となった。
LINEの雰囲気でだいたい察したわたしは、きっとフラれるんだろうなと思いつつもバレンタインのチョコレートを買って、彼に会いに行った。


都内の喫茶店で、わたしは人生で初めてフラれることとなった。
あの晩でわたしの人生を大きく変えてしまったこと、どうしても付き合えないこと、全部で10個ぐらい色んな理由を取り繕う彼のことを、嫌いになんてなれないな、と思った。
間違いなく、彼はわたしへ好意を持っていた。それなのにどうして付き合えないんですか、だなんて言ったら嫌われることはさすがに分かっているから、わたしは静かに話を聞いた。
これからも一緒に飲みに行ってくれますか、と聞くわたしに、そんなことしたら遊び人だと思われないかなあ、と真面目に考える彼が愛おしくてたまらなかった。
もう付き合える可能性がゼロかもしれないのに、ますます好きになってしまうだなんてどうかしていると思う。


その後はお互い何もなかったようにご飯を食べに行った。二時間くらいかけて、他愛もない話をした。
今までのわたしだったら、フラれた瞬間に泣きながら彼のもとを立ち去っていただろうに、どうして向き合ってインドカレーを食べているんだろう、と不思議な気持ちだった。
彼のすべてを受け入れたいくらい、彼のことを好きになってしまったのかもしれない。
他人から見れば不毛な恋だろう。ただわたしは、これからもずっとこうして彼とご飯に行けたら、それだけで幸せだと思える。